イスラエルでの村上春樹さんのスピーチについてのブログエントリ
極東ブログの全文訳がなかなかよいとおもったので
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-1345.html
内田樹ブログ
http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php
自分がこのスピーチを読んだときに、まず思い出したのは、
村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
だった。
And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.
「そして、我々はみんな、多かれ少なかれ、高い、強固な壁に向き合っています。その壁の名前、それは「システム」です。システムは我々を保護するためにあるはずですが、ときには、それ自体生命を得て、その後、我々を殺しはじめ、そして我々に他者を殺させたりもします。冷酷に、効率的に、システマチックに。」
スピーチのキーワードの「システム」「壁」が小説の中のキーワードそのものずばりで、
現実の世界でも自分自身の脳内でつくりだした夢の世界であっても
「システム」と「壁」が完全に規定する世界で、
理不尽な暴力に耐え、ひどい目にあい、いいように翻弄されながら達観し、
ひたすら自分自身の平和を求め続けようとする
ものがたりの構造がまったく一緒であったからだ。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
は、自分も参加しているmixiコミュのメンバーが好きな長編アンケートで、
ノルウェイの森を抑え、第一位であるし、自分ももっとも好きな作品だ。
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=455725&comm_id=84
この作品は、自分が高校のとき、同じ部活の高飛びの上原というやつが、
ひたすら絶賛していて、持ち歩いていたので、読んでみてはまった。
それが自分と村上春樹の出会いであり、ノルウェーの森を読んだのもその後だったと思う。
これ、映画化すればいいのにな、と思ったし、いや映画なら2,3時間ではしょって、
価値が失われるから、ちゃんんとこの作品を愛するプロデューサー、ディレクターのもとで、
1クールの連続TVドラマでやったほうがいい、とか考えた。
高校卒業したてのころに読んだので、いまいち、システムだの壁だのいうことは、ピンとこなかったし、単になんかかっこいい世界観だ、
というまさに、ハードボイルドワンダーランド的な見方しかしていなかったけど、
今こうやって、スピーチの根幹とみると、なるほど、そういうことだったのか、
と照らし合わせて合点がいった。
結局のところ、われわれは、みんなシステムに規定される。
これは議論の余地がない、単純明快なことだ。
今回のことでも、なんでガザの千人以上の一般市民の人たちは、
ああやって理不尽な目にあい、命を落とすのか?
なんでチベットの人たちは、ああやって拷問されたり命を落とすのか?
なんで、今自分は、こうやってぬくぬくと部屋でPCで日記を書いているのか?
これは全部リアルタイムに起こっていることだ。
彼らと自分の違いは、単に、生まれおちた国、場所が違った。
それだけのことである。
東京からみれば、北海道も沖縄も北朝鮮のピョンヤンも同じような距離にある。
http://maps.google.co.jp/
しかし、北朝鮮という土地は、決定的に違うシステムであるので、
彼らの人生と我々日本人の人生は決定的に違う。
なぜか、自分はかなりラッキーなことに、現代のこの日本という国に生れ落ちて、
そのシステムの中で生きている。
よくね、人生は思い通りになる、未来予想図、
継続的で強い明確なイマジネーションは現実になる、
というアイデアがあり、啓蒙書などがある。
それはわれわれが思う以上に、そのとおりで、宇宙はそのように動いている、
と言うのは正しい。
しかし、もう一方で、われわれが思う以上に、それは正しくない。
その大前提として、この大いなるシステムの制約があるからだ。
チベットに生まれた人、ガザに生まれた人の人生は、かなりその
環境、システムに規定されており、自分のように日本の神戸という都市に
生まれて、そのシステムに規定された人生とは決定的に違う。
このことは、ことあるごとに思い起こす。
実際、1971年に日本に生まれた、ということは、全人類の全時代の累計からしても、
かなりラッキーで宝くじに当選したといっても、まず差し支えない。
この日記を読んでいる大方の人もだいたいそのプラスマイナス20年くらいだろうから、
同じことです。
たとえば、時空を超越した霊の世界みたいなものがあって、
じゃあ君は地球で人間として命をあたえられると決定したが、
さて、どの時代のどの国のどの街にするかな?一応第一希望を聞こうか?
なんてことがあれば、絶対に日本、1970年-2000年とかいうレンジは、
かなりの人気になり、めったなことでは当選しないだろう。
だから、この観点でいうと、いろいろ問題があるはいえ、
おおいなるシステムの制約のことを考えると、戦後の日本人は
全員ラッキーだということになる。
ちなみに、自分はこの辺の政治情勢にはうといので、
以下のブログが、詳しくわかりやすく解説していて非常に勉強になる。
結局、イスラエルのガザ侵攻は何だったのか (1) -イスラエル・パレスチナ問題の基本構造 - 陣形を整えよ
http://d.hatena.ne.jp/intelswimmer/20090211/1234368415
結局、イスラエルのガザ侵攻は何だったのか (2) -「プロレス」としての軍事作戦 - 陣形を整えよ
http://d.hatena.ne.jp/intelswimmer/20090213/1234544097
岡部 健の日記のごく一部
岡部 健の日記のごく一部を公開
2009年2月19日木曜日
村上春樹スピーチ 壁とシステム
投稿者
KenOKABE
時刻:
11:02
2009年2月10日火曜日
カネとはいったい何か?2
>和尚
たしかに「価値の保存」は保証はされていませんね。
価値の保存をする機能はあるが、それは保証されているものではないですね。
最悪、ハイパーインフレになれば貨幣は紙くずになります。
カネとは2者間の合意の具現化されたメディアではありますが、
通貨<国家が発行する、という枠組みがあって、
その通貨取引=FXという、もう一段上の「合意」があるということになります。
たとえば、ドルと円の取引は成立して、それも合意です。
ゴールドやプラチナなどのメタルと通貨の取引は成立して、それは合意です。
だから厳密にいうと、2段階になっている。
インフレというのは、国家内の1通貨とモノとの関係なので、
別のメディアに両替しておけば、その価値は維持できるということになります。
円という1通貨(主に日本国内での合意世界)のみを保持していると、
それはメタル、他通貨含める全部世界のなかでの相対的なポジションなので、
それは当然、相対的な位置=価値は保持されませんね。
だから、ファイナンスの世界では、このカネの価値保存機能の限界を補うために、
資産維持のために、「ポートフォリオ」=分散保持、という概念があります。
メディアを分散させてリスクを平均化する手法です。
古典的には、ある通貨ベースに多様な債券、多様な株を半分半分とかいうのが主流だったんでしょうが、
今は、通貨自体を分散したり、メタルに分散したり、というほうが賢い気がします。
実際、ゴールドと米ドルは、負の相関関係があり、
ドルが弱くなれば、ゴールドは高くなり、
http://jp.quote.com/us/futures/chart.action?s=GC+%23F&chartUi.period=M&chartUi.bardensity=HIGH&chartUi.bartype=CANDLE&chartUi.size=620x300&chartUi.minutes=
今はこういう状態です。要するに通貨(特に米ドル)からメタルへ世界的に資産が移行しているトレンドである、ということで、これもそういう「合意」である、ということになります。
私は、そのよく言われる、「実体経済とかけはなれた通貨」というのは、
合意という本質でみると、ちょっと違うものいいである、と考えていて、
カネ=合意、が全世界的な電信ネットワーク、あるいはさらにインターネットの発達により、
貨幣ベースからより電子的な抽象的存在として
全世界的にメディアとしてやりとりしやすくなった、つまり合意しやすくなったので、
その結果は、より抽象性が増した結果にすぎない、と考えています。
サブプライムローンに端を発する金融恐慌の本質とは、前にも書きましたが、
その路線でどんどん膨張していった「合意」の世界市場において、
その合意のための基盤、大前提条件である
「信用」=クレジットの崩壊です。
それは、これまでの金融業界での証券の評価の仕方、合意の仕方、商売のやり方が
もう信用できないという、過去の合意の全否定であり、
これからは、この調子からすると、ちょっと誰とも合意しにくくなったなあ、ということです。
みんなそう考えるようになった、という「合意」です。
ひとことでいえば、クレジットリスクが全世界的に跳ね上がったという状態です。
(クレジットリスクがあがれば、信用が成立しなければ、合意がしにくくなる。
取引の循環がとまって景気が悪くなる。)
この結果、証券売買のための証拠金比率がはねあがったり、利子が高くなったりします。
だからFRBは前代未聞のゼロレベルの金利に引き下げて必死なんですね。
貨幣の流通量を増やす、というのは、
要するに合意するためのメディア@ローカルを増やす、ということで、
今も日銀通貨ではなくて、政府通貨を発行するというアイデアが議論されていますが、
あれは、要するに、需要=購買力が足りない分を外部から補ってやって、
モノの売買の合意のためのメディアを増やして循環をよくする、
ようするに景気をよくする、ということですが、やりすぎれば、
合意メディアの価値そのものが安売りされることになるので、
対モノの価値がさがり、モノの値段はその合意メディア@ローカルに対してあがる、
つまりインフレになります。
今は、むしろ「合意」のハードルが高く、カネ=円という合意メディア@ローカルが対モノにたいして高い
つまり対カネではモノの値段が安くなるデフレですから、多少のカンフル剤は必要だと思います。
投稿者
KenOKABE
時刻:
2:32
カネとはいったい何か?1
「金」.貨幣.Moneyとは何か?
『貨幣(かへい)とは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノである。』
Wikipediaにはこう書かれているが、この3つの機能が、教科書的な「金」の定義らしい。
じゃあ、価値とかいうもんは何なの?ということになるわけで、
自分的にはこういう教科書的な定義は糞の役にも立たない分類、定義法だとおもっている。
「金」とは「合意」であり、それを目に見えるようなメディアとして具現化したものである、
これが正しい。
「価値の尺度」「交換の媒介」ってのは要するにこういう「合意」のことを2つにばらして、
わかりにくく分離しているだけで、具体的なメディアであるので、当然「価値の保蔵」もできる。
価格とは何か?マーケットのなかで価格というのは決まるが、
要するに需要と供給が「この価格ならばいいよ」と両者が一致したレベルが価格になる。
価格とは両者の合意レベルを示す数字である。
メーカー希望小売価格ではなくて、新品ならばヤフオクで出して、落札された価格が
そのモノの価格であり、価格とは合意によって決まる。
今の不況下で、倒産した会社のモノが仕入れ業者に二束三文で買い叩かれば、
それがそのモノの価格になる。
弟は父親の整備工場と中古車販売をついで経営しているが、
今、自分が乗っているような3500ccとかの大排気量のSUVは、
中古車価格相場では、
ガソリン高騰以降、リーマンショック以降かなり下がっているらしい。
要するに需要がないので、価格が下がっている。
10年以上前にトレードをはじめたときに、クリックして電子証券を売買しているとき、
いったい自分は何をやっているんだろう?
世界のマーケットが相手だが、この行為はいったい世界といかなる相互作用があるのだろう?
と考えた。
要するに、選択、タイミング、をインターネットに信号を送ることにより、
売買(トレード)の合意をしました、合意しました、
とひたすらあるルールの下で合意をしているんだと、わかった。
ある意図のもと、合意の判断が間違っていれば、損をし、合意の判断が正しければ、得をする。
トレード(長期投資ではない)とはそれだけのことにすぎない。
円天の巨額詐欺事件の報道を見ていて、
数年前のほりえもんライブドアの株価上昇、暴落の件を思い出した。
円天を買うにしろ、ライブドアの株を買うにしろ、そこになんらかの将来的なメリットを感じて、
その売り文句に合意した、ということ。
サブプライムローンのコモディティの価値も同じで、そこに業界としては、
嘘とはわかっていっても将来的な値上がりが見込めるとレッテルを貼ることにして、
証券価値としての合意を得る。
結局、「金」とは人と人との間の合意にすぎない以上、その瞬間の合意の時点では、
両者合意しちゃってるんだから、両者ともにハッピーなはずである。
あとになって、片方が契約を履行しなかったり、片方が不満を持つと、
それは結果論として、金を「騙し取られた」、「詐欺だ」となる。
「金」が合意である以上、本質的にこういう詐欺になるかならないか、
ってのは常に微妙なグレイゾーンが存在するし、円天の会長は、
だから自分が詐欺師だってのはけして認めないのだろうと思う。
円天ってのが新しかったところは、その合意の対象となる商品を、
円天という独自規格の電子マネーという金そのものにしたところだろうと思う。
この辺はちゃんと報道されているとは思えないが、
円天にしろ、とりあえず自転車操業でもまわっていて、
被害者がでていない限り、あれは詐欺にはならない。
めちゃくちゃな電子マネー配当を約束さえしなければ、
百貨店の商品券やらクーポン券と同じだからだ。
大手電化ショップもポイントがかなりのレートで現金と同等の価値があるし、
航空会社のマイレージもクレジットカードのポイントも同じだ。
L&G円天の会長みてて、新興宗教の教祖と同じカリスマ性があるな、
と思ったんだが、結局ああいうのにはまる人らは信者であり、
構造としては等価だろうと思うし、究極の合意とは信仰であり、
宗教法人が儲かる理由はこれによって自明ということになる。
需要と供給、そしてその間の合意ということを考えて、
いかに、社会の需要を満たすような価値がある供給をするか?
という点に重点をおけば、
それに合意した消費者はそれによって幸せになり、社会もよくなる。
一方、供給の価値なんかどうでもよくて、とにかく合意をいかに効率よく大量に得るか?
という点に重点をおけば、
消費者は結果的に騙されたと思うだろうし、社会もわるくなる。
投稿者
KenOKABE
時刻:
2:32
2009年2月3日火曜日
Colocation コロケーション
Colocation コロケーション
贔屓にしている、米サーバー業者のプラネットのサイトをチェックしたら、
コロケーションサービスが復活しているようだった。
http://www.theplanet.com/colocation/
普通というかよくあるのが、サーバを借りる、電源、ネット接続のインフラも借りる、
というパターンなんだが、コロケーションっていうのは、
顧客が自前でハードウェアは用意して、OSなんかもセッティングして、
インフラだけを借りてラックスペースを間借りするというサービス。
前からこれをやってみたかった。
MacBook買うし、手持ちのThinkpadをサーバーにしてやれば、いいかな、と考える。
先代のThinkpadもあるけれど、DualCoreではないし、微妙。
国内のデータセンターでもKOpticomやらネット環境が比較的堅牢な業者に、
コロケーションサービスをやってるところは結構あって、
いくらですか?と電話で問い合わせてみたりしたが、
シングルラックの1/4=1Unitとしても月10万はくだらないのでありえないな、と思っていた。
KOpticomにしても、結局自前のネットバックボーン1本に直結しているとはいえ、
それが落ちたら終わりなので、
品質は高いが冗長性の面ではそんなに優れているとも言えない。
今、PlanetでQuadコアのサーバが月$170くらいで借りられるので、
そういうことするくらいならば、普通にこっちでサーバを借りたほうがいい。
ここは7本とか10本とか複数の通信業者のバックボーンとつながっていて、
たぶんミサイル攻撃でデータセンターが破壊されないかぎり、
まずインフラが落ちることはなさそうだ、という感じ。
ここのコロケーションないのかな、と半年くらい前問い合わせてみたけれど、
今はやってない、ということだったが、今年に入って、
別サイトにデータセンターを新築するようで、
スペースに空きが出てきたのか、復活していた。
チャットで問い合わせると、Thinkpadを送ってもOK、
1U=$149/moの1年契約ということで、
妥当というか、予想どおりというか悪くはなかった。
$200ならば、Quad借りたほうがやっぱり得なんじゃないのか?
と悩むところだろうけれども。
しかし、このThinkpadもSSDを入れると高価であったので、
微妙といえば微妙だ。類まれな高解像度のタブレットにもなる液晶モニタだけが惜しい。
サーバにすると不要になるから。
Ownership is always tricky. 所有という概念は常に微妙で、
こうやって買い取って自分の所有物にして、いろいろやるのが良いのか、
それとも最新スペックのもんやら新品をリースなりレンタルなりして、
減価償却したほうが良いのか、常に損益分岐点というものが存在する。
でもだいたい1年新品を使い倒して、サーバとしてデータセンターに送る、
ってのは悪くないのかもしれない。
フロリダの友人も家にプールがあるけれど、掃除やら水代やなんやらで、
大変だそうだ。ああいうのはステータスなんだろうが、
所有する、使用するメリットと維持するための手間、コストと比較すれば、
かなり微妙。
でかい、風呂、というのもそうかもしれない。
日本には、銭湯、というすばらしい文化があって、
最近は高いのも人気だけど、まだまだ安い銭湯はあって、
家の風呂には入らずに銭湯に通うという人は多いし、
最近の日本のスポーツクラブの風呂ってのはかなり立派で、
月会費数千円払っても、風呂だけ入っても元がとれるとかある。
実際、スポーツクラブには風呂だけ入りに来ているという中年以上の利用客は多い。
別荘、とかいうのもそうで、不動産としての資産価値はあるんだろうが、
人生における使用頻度、最終的にはそういう不動産の資産価値は、
墓場には持って行けないことを考えると、好きなところに旅行して、
そこでそれなりにいい部屋でフルサービスでやってもらったほうが、
賢いんじゃないの?と思ったりもする。
自分の親も鳥取の大山に別荘というかログハウスを持っていて、
10年くらい前に親戚の手もかりて、基礎工事からやって組み立てた。
ATM荒らしなんかがパクって利用していることからメディア露出度も高い
工事に使われるユンボをレンタルして土地を掘り返すことから自前でやっていた。
そんときはまだ、じいちゃんばあちゃんもめちゃくちゃ元気で、
ばあちゃんは、浄水槽の土方作業やったり、
じいちゃんは、エレベータ技師だったので、水平はかったり、
親戚のセミプロ大工みたいな人がカンナ削ったり、それはそうとうなもんだった。
ああいう一大プロジェクトを成功させてしまうのが、親父のすごいところで、
休みの度に、大山まで行って作業していた。ああいうのはマジで尊敬する。
夢のログハウス自作、とかいう雑誌があるけれど、無理無理w
普通の感覚じゃああいうのは絶対無理だわ、と見ていて痛感した。
投稿者
KenOKABE
時刻:
4:53
2009年1月19日月曜日
Web3.0について考える
ある日記に呼応してWeb世界雑感。
これについては、自分はその世界にいないので「2015年の感覚的な潮流の変化」という感覚を共有してはいないのですが、なんとなくわかることは、
http://ken-okabe.blogspot.com/2008/11/wikipediaknol-gfdlcc.html
にも書いたのですが、google、web2.0の文脈として言うのであれば、
WWWのさらなるインデックス化がマンパワーによって成される、ということですね。
現在の状態は、「みんなで力を寄せ集める」というのは、WWWの各所にWebコンテンツとしてあげられて、相互リンクされていますが、そのままでは玉石混合で、いくら価値がある情報があっても見つけることができない限り、ただのゴミの山と同じなので、これを整理整頓する必要があります。
その役割を担うのがGoogleであり、実際ここが世界で一番アクセスの多いサイトなのですが、Googleは各ページのリンク結びつき度合いを計量してGoogleがページランクシステムによりインデックス化していますが、現状十分ではありません。
原理的限界は巡回ロボットとページランクシステムが自動のアルゴリズムであるということにあって、このアルゴリズムをさらに超越するには、要するにアルゴリズムをAI=人工知能化するしかないという、臨界点に現状近づきつつあります。
今のgoogleでも十分AIの端くれの要素くらいはあるのですが、やはり到底われわれ人間の集合智にはかなわないので、この辺マンパワーが介在する流れになるんじゃなかろうか、と思っています。
現在、たとえば「通信」あるいは「和尚」とgoogle検索してみることとしましょう。すると、検索結果のトップは両方ともWikipediaです。たいていの1単語で検索するとトップはWikipediaになります。
つまり、現在WWW世界のネットワークリンク構造の主要ハブとなっているのは、Wikipediaであり、これはすなわち、100%マンパワーのデータベースです。
しかしながら、
http://ken-okabe.blogspot.com/2008/11/wikipediaknol-gfdlcc.html
に書いたとおり、Wikipediaはそもそも百科事典である、というプロジェクトのスタンスによるかなり厳しい縛りがあるために、すでに飽和状態であり、この制約によりこれ以上成長することは見込めません。
Googleのインデックス化が原理的限界に到達しつつあること、さらなるインデックス化(まとめ、口コミ評価とかいうのもそう)にはAIでなくマンパワーに依存しなければならないこと、Wikipediaが原理的限界に到達しつつあること、を考えると、今から5年くらいのスパンでなんらかのブレイクスルーがあると予想する事は可能です。
資金力、知名度、インフラの観点から、GoogleのKnolが唯一のWikipedia代替の仕組みであり、Wikipediaの縛りのないKnolへ、役者が交代するのではないか、と考えています。
Knolは現在、非常に若くて、現状アクセスしてもインターフェイスの見た目も悪いし、ページ間の相互リンク性がよくないですが、これは些末な問題であり、じょじょに改善されるでしょう。
現状では、ショッピングサイトにしても、楽天、ヤフオク、Amazonとビッグネームはあるものの、相互に連携などするわけもなく、価格コムと出店サイトが重複したり、といずれにせよ、情報はある程度はインデックス化しているものの、分散しており、集約的な情報については、ネットヘビーユーザー間の口コミに依存しており、XXで検索すればでてくるよ、であるとか、あるいはアフィリエイトというシステムの露出競争であったり、この点は集合智が機能しているとは言い難いですね。
ブログ、というプロトコルが発明されて、人が日記を書きやすくなって相互に連携が深まったり、mixiというコミュニティができて、相互に連携が深まったりするのと同様に、今後は、Knolという情報をまとめるためのプロトコルができて、そこでマンパワーによりどんどんなんらかの構造化が推し進められるんじゃないだろうか、と考えています。
投稿者
KenOKABE
時刻:
12:27
2008年12月4日木曜日
opensolaris 2008.11 BestPracticeGuide
ken@X61T:~# svcadm disable svc:/network/physical:nwam
ken@X61T:~# svcadm enable svc:/network/physical:default
ken@X61T:~# svcs svc:/network/physical
//wifi-emobile.sh
pfexec ifconfig iwk0 plumb
pfexec ifconfig iwk0 down
pfexec wificonfig -i iwk0 scan
pfexec wificonfig -i iwk0 connect PHS-7e3
pfexec wificonfig -i iwk0 showstatus
pfexec ifconfig iwk0 dhcp
pfexec ifconfig iwk0 up
pfexec route add default 192.168.0.1
netstat -r
ping 192.168.0.1
ping google.com
ken@X61T:~# gedit /etc/nsswitch.conf
hosts: files dns
ken@X61T:~# gedit /etc/resolv.conf
nameserver 192.168.0.1
//wifi-home.sh
pfexec ifconfig iwk0 plumb
pfexec ifconfig iwk0 down
pfexec wificonfig -i iwk0 scan
pfexec wificonfig -i iwk0 connect 00904C49002A
pfexec wificonfig -i iwk0 showstatus
pfexec ifconfig iwk0 192.168.0.61
pfexec ifconfig iwk0 up
pfexec route add default 192.168.0.1
netstat -r
ping 192.168.0.1
ping google.com
ken@X61T:~# zpool list
NAME SIZE USED AVAIL CAP HEALTH ALTROOT
rpool 30.8G 21.0G 9.75G 68% ONLINE -
ken@X61T:~# rmformat
Looking for devices...
1. Logical Node: /dev/rdsk/c3t0d0p0
Physical Node: /pci@0,0/pci17aa,20ab@1a,7/storage@3/disk@0,0
Connected Device: SanDisk Cruzer Colors+ 7.01
Device Type: Removable
Bus: USB
Size: 1.9 GB
Label: <None>
Access permissions: Medium is not write protected.
2. Logical Node: /dev/rdsk/c5t0d0p0
Physical Node: /pci@0,0/pci17aa,20ab@1d,7/storage@1/disk@0,0
Connected Device: SanDisk SDDR-113 1.00
Device Type: Removable
Bus: USB
Size: 15.4 GB
Label: <Unknown>
Access permissions: Medium is not write protected.
ken@X61T:~# zpool create sd16pool /dev/rdsk/c5t0d0
ken@X61T:~# zpool list
NAME SIZE USED AVAIL CAP HEALTH ALTROOT
rpool 30.8G 21.0G 9.75G 68% ONLINE -
sd16pool 15G 13.9G 1.10G 92% ONLINE -
ken@X61T:~# zpool export sd16pool
ken@X61T:~# zpool import sd16pool
ken@X61T:~# dd if=/dev/rdsk/c0t6d0s2 of=/export/home/ken/xp.iso
ken@X61T:~# lofiadm -a /export/home/ken/xp.iso
/dev/lofi/1
ken@X61T:~# mount -f hsfs /dev/lofi/1 /mnt
//backup
# zfs snapshot rpool/ROOT/opensolaris@20090101
# zfs send rpool/ROOT/opensolaris@20090101 > /sd16pool/root.img
# zfs snapshot rpool/export/home/ken@20090101
# zfs send rpool/export/home/ken@20090101 > /sd16pool/homeken.img
//restore
# zfs create rpool/ROOT/working
# zfs receive -F rpool/ROOT/working < /sd16pool/root.img
# beadm list
# beadm activate working
# zfs receive -F rpool/export/home/ken < /sd16pool/homeken.img
single-user モードに移行
GRUB メニューから:Edit モードに入るため "e" を押し
"kernel" line を編集するため再度 "e" を押す。
このラインの最後に "
-m milestone=single-user" を追加。
その後 "b" を押し single-user モードで起動する。
投稿者
KenOKABE
時刻:
11:39
2008年11月28日金曜日
WikipediaクローンからはじまるKnolレイヤー GFDLとCC
前にも書いたことがあるが、
百科事典プロジェクトであるWikipediaが採用しているGFDLライセンスが
Knolが採用しているCCライセンスと互換になるという話題。
今月GFDLの次期バージョンがリリースされたらしい。
以下のブログが参考になる、というより日本語では検索してもこれしかなかった。
こんな話題を注目している人はそんなに多くはないだろう。
http://slashdot.jp/it/08/11/05/0742241.shtml
http://sourceforge.jp/magazine/08/11/10/0619256
しかし、この一見地味なライセンス変更が、今後ネット全体に、
結構なインパクトを与えるはずだと予想している。
まず要点
>WikipediaのライセンスとしてCC-BY-SAを使用したい理由は、CC-BY-SAはGFDLと同等の「自由」を備えつつ、GFDL よりも使いやすいからだ。また、CC-BY-SAはほかのプロジェクトでも多く使われており、CC-BY-SAに移行することでWikimediaの WikiページのコンテンツをほかのCC-BY-SAライセンスを採用しているプロジェクトで自由に使用することが可能になる。
GFDL 1.3に我々がリクエストした変更点が加えられていることについて、我々は非常に感謝している。続いて、Wikimedia FoundationではGFDLでライセンスされている既存のWikiコンテンツに対して、CC-BY-SAライセンスを適用可能にするべきかどうかを問う投票を行う予定だ。
>Wikipediaのケースに即して言えば、2008年11月1日の時点でWikipediaに掲載されていた記事のみがCC-BY-SA 3.0に転換可能ということだ。
何が起こるか?もちろん、既存Wikipediaの記事空間の全コンテンツを、
Googleにアップロードする人間が現れる。間違いない。
理由、動機はいくつか考えられる。
1.純粋に技術的にできるから、やってやろう。目立つし。
2.Wikipediaの運営、編集方針が不満だ。Knolで自分オーナーのページに全部そっくり移動させて、もっと好きにできる世界をつくる。
3.KnolはAdSenseが使えるので、アクセスによる短期的、長期的な広告収入を狙う。
繰り返すが、ライセンスの問題がクリアになれば、なんの問題もない。
コピーレフトで成果物を連鎖的に共有しましょうよ、というのがGFDLとCCで、
だからこそ乗り入れが可能になった。
なんで、こういう事に注目して、こういう妄想が頭に浮かぶのか?というと、
まさに自分自身がこの動機2のことを、ずっと考えてきたからだ。
Wikipediaというのは百科事典サイトだが、紙の百科事典とは違う。
誰でも参加して編集してと、集合智の原理が働くバザールの世界だ。
Google経由でどんどん人がくるので、いたずらも絶えないが、
いままでになかった百科事典の堅さみたいなものがかなり緩和されている。
一方で、まずこのプロジェクトの創始者のジミーウェルズは、
本人によると、百科事典の人であり、方針にもあくまで百科事典で、
それ以上でも以下でもないと明記している。
これは、実はわかりやすいようでわかりにくいルールだ。
「紙の百科事典ではありません」というメリットの言及がある一方、
ウィキペディア以前は実質、百科事典といえば「紙の百科辞典」しかなかったわけで、
百科辞典基準というのは自ずからその「紙の百科辞典」を参照することになる。
ここに重大な矛盾と衝突がおこる。
自分のように、このように紙というメディアの制約がとれたんだから、
最大限生かさないとプロジェクトの意味がないと考え、
あくまでバザールであると考えるものもいれば、
否、百科辞典なんだから、おふざけがすぎるのは良くない、
伽藍のように整然としていることを目指すのが、質と信頼を担保ことに繋がる、
と主張するものもいる。
この「伽藍とバザール」というのは、
オープンソースソフトウェアの有名な論文のタイトルの話なんだが、
そもそもウィキペディアがここまで成功したのは、
この「バザールで良し!」と門戸をひろく開放し、
最初に執筆のための資格だの登録制だの査読だの、
そういう「伽藍であるべし」という保守的な立場を捨て去ったことがおおきい。
それこそが成功の理由だ。
まあ、結果としてこういう内部の対立意見や
プロジェクトの設計構造の矛盾をかかえながらも
微妙なバランスでやっているのが今のウィキペディアだ。
結果としてはまったく悪くはないが、
ネットが持つ潜在力はまだまだ発揮されておらず、
ブレーキを全力で踏みながら、アクセル全開というのが今の状態なのでは?
というのが自分の見解だ。
そもそも、「百科辞典」ってなんなんだろうか?
最初からそういう百科辞典という概念が自発的に存在していたわけもない。
なぜ、そんなものが出現したか、
歴史的な詳細はWikipediaの「百科辞典」の項目に委ねるとして、
基本は、わかっていること、知識を広範囲に網羅するデータベースの構築で
あっただろうことは想像に難くない。
とはいっても、紙というメディアの都合があるので、どれもこれも、
というわけにはいかないので取捨選択の作業が必須になる。
ある程度は簡潔にまとめないと、その存在が無理になってしまう。
だから、百科辞典はある程度ちゃんとまとめたもの、という縛りがある。
ネット時代になり、その紙という制約がはずれたが、
なおある程度の制約を課すデータベースがWikipediaだが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:全言語版の統計
によると、
全言語版の総計記事数は4172万本あるらしい。
多いし、質も量も結果は出ているけども、
もうそろそろ飽和期にさしかかっているだろう。
まだもうちょっと成長は続けるが、
現在でも主要項目はほぼ網羅されているし、完成度は高い。
完成度が高いということは逆に言うともうあんまり進化の余白が残っていない、
ということだ。
ネット時代での最大のデータベースというのは、
まさにWeb空間そのものであるが、
その生のままでは使い物にはならないので、
これをインデックス化したのがYahooからはじまってGoogleに至る
検索エンジンだ。
Google、把握するURLが1兆ページ突破と報告
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/29/news020.html
1兆突破らしい。
わけのわからないページも含めてこの数なのだが、
そういうわけのわからないページさえ、検索したらヒットして、
なんらかの情報が得られるというのが価値である。
ただ、いくら検索エンジンが進化しても、
人間並に利口な人工知能が技術的に可能にならない限り
インデックス化には限界があるし、
ページ内の情報を再構成したり、別のページと再構成したり、
という作業は無理だ。
だから、人の力が必要になってくる。
その器に該当するのがGoogleのKnolで
Google自体がその意図をもって設計したとアナウンスしている。
GoogleKnolは今のところまったく目立っていない。
しかし、それはGFDLとCCが接続されると状況は変わっていくだろう。
Wikipediaの全コンテンツがKnolにアップロードされたら、
とりあえず、Wikipediaでなければならないという存在理由は限りなくうすれる。
同じコンテンツがKnolにもあるのだから。
あとはGoogleのページランクの問題だろう。
Wikipediaが成功したのは、Googleのおかげでもある。
Googleの検索結果の上位にその検索ワードのウィキペディア項目ページが
ヒットし、そのリンクを踏んで直接訪問した。
だからコミュニティも大きくなれた。
非常によい情報の体系化のコラボレーションである。
ただ、全コンテンツがKnolに移植され、Wikipediaの独自性がうすれ、
Googleが本気でKnolを推すようになってくると、
人々もそれに気づくし、結果ページランクも変わってくる、
順位があがる、より気づきやすくなるという循環が起こる。
さらに、Wikipediaの執筆者がKnolのほうへ移動してくる可能性も大きい。
編集方針、そもそも百科辞典だ、なんてしばりなんてないので、
POV(個人の立場による主観)を書きたい放題だし、
項目とからめて自分や自社の宣伝でもなんでもできることになる。
ここで、完全に新しい世界が生まれることになる。
ブログというプロトコルが発明された後、
ブログスフィアという相互リンク可能なブログの世界が出現した。
新たなレイヤーの創出だ。
同じように、Knolというのはひとつのプロジェクトやサイトというものではなくて、
ネットにおけるレイヤーである。
このレイヤーでは黎明期では、
Wikipedia記事のクローンを起点として、そうとうなカオスが起こるはずだ。
なぜなら、Wikipediaが百科辞典サイトとして規程している
中立な観点なんてものもないし、
POVやり放題なのだから、政治的トピック中心として対立が起こる。
しかし、百科辞典サイトじゃないので、同一項目であろうとも、
複数に分裂可能なので、対立すれば分化する。
正直この辺のカオスについてはどうなるかは見当もつかない。
しかし、たとえばイデオロギー色の強い分派の記事オーナーは
それを存続させようとしてその記事内ローカルルールを作るだろう。
日本語であっても、竹島問題という項目については、
日本人と在日韓国人、日本語がつかえる韓国人と
2パターンに分化しする。
それで両論併記になっているのだから
単独の記事内で中立を維持し両論併記する必要もなくなる。
このように、
今のWikipediaの4172万本の記事のクローンが
分化し、派生し、また外からどんどん肉付けする形で、
Knolレイヤーは成長していくだろう。
Googleはこういう分化している関連性の強い各記事の検索など
Knol検索はある程度の工夫が必要になるだろうが、
それは今の技術力ではたいしたことはないだろうと思う。
近い将来、Google検索、イメージ検索の横に、
Knol検索というオプションができることを期待する。
投稿者
KenOKABE
時刻:
21:14